3月の熱海旅行の話の続き。
起雲閣も、同行者が予約しておいてくれた見学場所である。旅行前にはまったく知らなかったが、帰ってから図書館で調べたら、近代建築関係と文学関係では有名なようだ。
当日は、JR熱海駅前からタクシーで移動し、館内はガイドさんの説明を聞きながらの見学となったが、さすがガイドさんというか、かなり詳しい話が聞けて、ありがたかった。
熱海は、1500年前から温泉で知られていたらしい。そして徳川家康のお気に入りとなったことをきっかけに徳川家御用達の温泉となったようで、つまりは、かなりの歴史がある温泉街なのだ。
明治以降は文人墨客が多く訪れ、政財界の大物などがこぞって別荘を建てたという歴史があり、起雲閣もそうした別荘の1つ。神戸で船会社を開業し海運王と呼ばれた内田信也が、母の療養のために建てた和館・湘雲荘が基になっている。
見学の最初も、この和館部分「麒麟・大鳳」「孔雀」。内田の母は車椅子生活だったということで、大正8年に竣工されたのに、段差が無いバリアフリー建築なのだという。なるほど、部屋と廊下の段差は無い。が、畳の上を車椅子で移動していたのだろうか? 少し気になってしまった。
ガイドさん的には、ガラスにも注目して欲しかったようで、建てられた当時の波打つガラスを強調していた。破損してしまった部分は、現在作られているまっ平のガラスがはめられているそうで、違いを見て欲しいと言っていた。
内田の母没後は、別荘は東武鉄道の創業者である根津嘉一郎に譲られた。あの根津美術館の古美術コレクションを収集した根津嘉一郎である。
根津は、元の別荘の周囲の土地も買い広げ、茶室や温泉、洋館「玉姫・玉渓」「金剛・ローマ風浴室」を増設し、庭も造園。庭は日本庭園で、根津自身が熱海梅園で見つけた巨石を運ばせたのだとか。
庭の池には、昔、亀が棲んでいたが、よく脱走するので困ったという話は面白かった。
洋館部分は、イギリスから取り寄せたガラスや泰山製陶所のタイルなどが使われていて、ステンドグラスやモザイクタイルが美しかった。
そして根津別荘は、終戦の少し前に手放され、金沢でホテルを経営していた桜井兵五郎に買い取られた。桜井が根津別荘を改装。旅館「起雲閣」として開業されたという流れになっている。
この起雲閣は、大正・昭和を代表する多くの文豪に愛され、宿泊されたそうで、現在、ちょっとした文学博物館のような展示になっていた。部屋のガラスの一部にも小説の一節が入れられたものがはめられていたり、文豪たちの写真が飾られていたりした。
熱海と文学、というと、やっぱり『金色夜叉』。ただ、この小説、寛一がお宮を足蹴にした、という部分だけが有名で、実際、自分も、そこしか知らなかった。が、発表当時は、かなり大ヒットしたようで、ガイドさんによると、『続金色夜叉』、『続続金色夜叉』、『新続金色夜叉』と刊行されたとか。さらに、尾崎紅葉の病没に伴い未完となったが、別の作家が構想メモを参考にして完結編を書いたというおまけまであり、なんだか、人気が出てしまったラノベ小説や漫画が出版社から完結を阻止され、迷走した挙句の顛末のようだと感じた。考えてみたら、「お宮の松」というのは、昨今の聖地巡礼スポットみたいなものだ。なお、この「お宮の松」初代は枯れてしまって、現在、熱海海岸にあるのは2代目なのだそう。
旅館としての「起雲閣」は平成11年に廃業。取り壊される可能性もあったらしい。その後の保存運動については、十代田 朗(そしろだ あきら)監修『近代別荘建築 歴史を繫ぐ建物とその物語』に関係者へのインタビューが載せられていた。
熱海には、多くの歴史的建築があるが、観光地でもあり、リゾートホテルやマンションに建て替えられてしまったものも少なくないようだ。例えば、太宰治が、亡くなる3カ月前に「起雲閣」に2泊しているという話をガイドさんがしていたが、その時期に執筆していたのが『人間失格』。『人間失格』は、別の場所にあった「起雲閣別館」で書かれたそうで、この「起雲閣別館」は既に無く、リゾートホテルなどに替わってしまっている。結局、お金がかかる話なので、難しい。
【参考資料】
十代田朗「味なたてもの探訪 近代別荘建築 歴史を繫ぐ建物とその物語」TWO VIRGINS, 2022.
玉手義朗, 増田彰久「見に行ける 西洋建築 歴史さんぽ」世界文化社, 2017.

